昨夜は、昔っからの友達と
ヘルシー中華でプチ新年会。
その時に、年末のだるまとの
ライブの話しになった。
友達は、仲間と総勢6人で来てくれた上に
「すんごい面白かった〜〜〜!!!」と。
ううう...ありがたい...。
「昔から知ってるから余計面白かった〜!」と。
そのありがたい言葉を思い出して、資料を出してみた。
写真のチラシは、1995年、13年前に初めて立ち上げたライブ。
コンビの時の名前のペコちゃんを名乗っていた私とだるま食堂...。
性格のキツい私と人柄な三人組...。
B型の私と全員O型の三人組...。
思い返すと、雑なライブだったと思う...。
それから、全6回を約束に、
2ヶ月に一回のペースで一年間合同ライブ。
全6回ともゲストに寒空はだかさんが...。
着かず離れず、
ひょうひょうとした距離感なのだな...。
その他のゲストは、マイムの京本千恵美さん、
今は弱つよむ君がエルビスという二人コント、
有名になる前のいっこく堂さん。
結婚前のだるま食堂のメンバーの旦那様も出演しておった...。
私の当時の彼氏も協力の所にニックネームで載っていた...。
身内の手弁当のお手伝いが無ければとても出来なかった頃だったのだ。
まぁ、今も後輩にお手伝い頼んだりして、
似たようなことではあるのだけれど...。
この一年間に、だるま食堂が一人お休みになって、
二人ユニットの東京メガホンに...。
私もコンビから一人になったばかり、だるまも三人から二人になったばかりで、
本当に試行錯誤の時代だったのだな...。
年末のライブでは合同コントの台本の話しで大ウケしていたけれど、
実は、この頃、私もだるまも
「どうにかしなければ」とあがいていた時代だった。
みんな30代半ばで、バイトしながら舞台に立って...。
訳が分からないまま必死だったのだな...。
今は笑い話になって良かったじょ〜。
ついでに私の資料のファイルも...。
左がコンビ解散して初めての一人芝居のチラシ...。
壮絶な理解不能のライブだった記憶が...。
よくあんなものを...お客様に...。
台本は読み返すと、今より面白いのだけれど、
演出も舞台監督も付けないで...。
リハの後、楽屋で後輩に怒られた。
「スセリさん!どうしてこれを一人でやれると思ったんですか!」
私は「う〜ん、出来ると思ったんだよね...」と答えたので、
後輩は「こんなにたくさんのキッカケや舞台転換があるのに、
当日の打ち合わせだけで出来る訳ないじゃやないですか!」
と、更に怒っておった...。
そして「私に話しかけないで下さい!」と言いながら、
一人で全部裏方をやってくれたのだったな...。
その後、反省して色々勉強をして、
右のチラシの頃にはだいぶマシになっていた。
1989年→1999年の10年間、
渋谷ジアンジアンにお世話になったのだ。
資料はまだまだ呆れるほどあるので、
また機会があったら思い出してみるじょ。