続いてみた・・・。
芸人さん達は、寄席に出る機会は少なく、
ストリップの間にコントをやったり、キャバレーで鍛えられたりしていた。
東京の寄席は落語が中心で、出番が少なかったからだ。
間に入る漫才や漫談やコントは、「色物」だったし、
落語の邪魔をしてはいけなかったからだ。
時間を守って、行儀のいい「色物」の人が、寄席には出ていた。
私は、19歳の頃から、寄席で働いていたので、行儀のいい人は沢山見ていた。
破天荒な人達は、「昔の芸人さんの武勇伝」として見聞きしていた。
でも、自分がお笑いの世界に入ったら、ちゃんとそういう人達がいたのだ。
ヒロポンのし過ぎで、ガタが来ているおじいさん芸人とか、
楽屋に借金取りが来たり、女の人が乗り込んできたり・・・。
つかみ合いを見た事もあるし、女の人に靴で殴られてる人もいた。
使い込みでボコボコにされた人も当たり前にいた。
その時は修羅場だけれど、芸人さんの笑い話として尾ひれが付いて伝えられる。
手品師の鳩を焼いて食べた話や、客席にツバを吐いて出入り禁止になった話なんかは
可愛いものだった。
亡くなった由利とおるさんや、東八郎さんとも舞台をご一緒した事があるけれど、
楽屋では、やっぱり女性とのお話を、芸人さん同士で、ずっとなさっていた。
その頃の私は、派手な世界にいたけれど、男女の事は疎かったので
「すごいなぁ・・・」と、黙って聞いていた。
でも、由利さんも、東さんも、他の男の芸人さんがいなくなると、
ムーランルージュの頃の、その日の新聞でコントを作った話や、
ネタに困ったときの話や、自分の飛び道具の芸がどういうキッカケで生まれたかとか、
そんな話をしてくださった。
人を見て、話して下さってたのだな・・・。
私達のコントも「品がいいから、ウケるとかウケないとかにかかわらず、染まらないように」と、
心配してくださった。
今は「世界のK・Tさん」になってしまったけど、Tさんも軍団さんがいないときは
「この間の幼稚園児のコントのオチはさ・・・」とか、アドバイスを下さった。
上に行った人は、みんな真面目なのだ。
そういう人程、ネタのアドバイスをしてくださるし、何かヒントを下さろうとする。
そして、皆さん一様に「男と付き合うなら、芸人は止めておけ」とおっしゃるのだ・・・。
それは、ほんとに皆さんおっしゃった・・・。
私は、なんか、それが面白かった。

スセリの部屋は3階なのです・・・。
広いバルコニーに、毎日、お布団やら毛布やらマットやら干しているのですが、
目の前に3人の男の人が・・・。
「木を切っていたんだじょ~!
びっくりしたじょ~!
丸見えだじょ~!」
スセリは一人暮らしが長いため、家の中を裸でウロウロしてることが多いのです・・・。
「お風呂に入る前で良かったじょ~!
お兄さん達が、ビックリして木から落ちなくて良かったじょ~!
油断できないじょ~!」
木も切られて、バルコニーが丸見えです・・・。
これからは、パジャマで出るのも控えましょうね・・・。
「暮らしにくいじょ~」