
角替和枝さんがお亡くなりになった。
東京乾電池の女優さんで柄本明さんの奥様。
27日の朝5時にお亡くなりに・・・。昨日の朝、5時・・・。
私、昨日お昼頃に柄本さんと下北沢の喫茶店でお会いした。
永さんから引き継いで通っている喫茶店、カフェ・カナン。
マスターが先週21日のラ・カーニャライブに、お店を早じまいしてきて下さったのでお礼に伺っていたのだ。
そこで、確かに昨日のお昼にお会いした・・・。
今まで何度も、このカフェ・カナンで柄本さんと和枝さんご夫婦にお会いした。
和枝さんは打ち合わせにいらしていることが多かった。
柄本さんはお一人か和枝さんとご一緒。
和枝さんはいつも笑顔でフレンドリーに話しかけてくださった。
「頑張ってね~」「オモシロかったわよ~」「またやってね~」
「今何やってるの~」
親しみやすく「ずっとご一緒したいなぁ」と思う雰囲気。
柄本さんはステージは素晴らしいし大好きだけど、
シニカルな物言いだし、話しかけにくいオーラが出ているし、
「親しくなるより、嫌われたくない」と思う私は余計なことを言わないで、いつも会釈だけにしている。
昨日、私より後から入ってきた柄本さんは入り口付近にそっと座った。
お店の奥のカウンターに座っていた私はチラッと目が合ったので、
ワンオペで忙しくて気がつかなかったマスターに
「柄本さんいらしてますよ」とお知らせした。
マスターは慌てて注文を取りに行った。
その後お店がドンドン込んできたので、出る予定の時間より少し早かったのだけど、
無口になっているマスターにご挨拶してお勘定。
入口付近のテーブルにいらっしゃる柄本さんの前を通らないとお店を出られないので
いつものように軽く会釈をして前を通り過ぎようとした。
そうしたら、和枝さんがいない時はいつもは「ペコっ」と無言で会釈だけの柄本さんが、
弾かれたように「ピョコン」とかわいらしい感じの深いお辞儀をしてくださった。
それがステージ上のように演技っぽかったのと珍しく私の目をしっかり見て、だったので
「あ、私に慣れてくださったのかな・・・。嬉しいなぁ。次にお会いしたら勇気を出して話しかけてみよう」と勝手に思っていた。
違ったのだ。違った・・・。
朝に奥様の和枝さんが亡くなって、それで、大変なお気持ちでいらしていたのだ。
長年のお付き合いのマスターには注文を取りに行くときに知らせていたはずだから
私も知っていると思ったのだろか・・・。
和枝さん・・・知らなかった・・・。
今、思い出せば2週間くらい前にマスターが
「えもっちゃん(柄本さん)、和枝さんが具合悪くて参っちゃってるんだよね」と・・・。
私は風邪かなんかだと思っていた・・・。
遡って3年前、2015年の年末に下北沢の東京乾電池のアトリエで、私は初めて、お2人に認識していただいた。
佐藤GWANさんと佐久間順平さんのライブで「ストーカーと呼ばないで」を飛び入りで歌わせた頂いたのだ。
その時、私が「今日は紀伊国屋ホールで歌って来ました。明日は寄席で歌います」と申し上げ、柄本さんは「え?オオタさんはコンサートもしているんですか!」と大きな声で驚かれた。
あんまり下手なので「余興でやってるのかと思ったら、本気だったのか」と思われたのだろう。
和枝さんはその後、カナンで何度もお会いして前述のように先方から話しかけて頂いていた。
2016年、田中真弓さんと東京乾電池の35周年のお芝居を観て、
あんまりお面白かったので「「ちょっと飲んで行こうよ」と
二人で思いっきり演劇の話をしまくって、お店を出たら偶然、柄本さんと和枝さんが劇団員の人たちと歩いていて、
「今日観ました!面白かったです~」とお声がけしたら、
和枝さんが「ありがとう~、頑張ってね~」とブンブンと手を振ってくださった・・。
ううう・・・。
最後にお会いしたのは、昨年の12月。
お2人で犬の散歩の途中にカナンでお茶してらした・・・。
その時に本多劇場のチラシをお見せして、
「本多劇場でやるんです」「すごいね本多~」「一日だけなんです」「頑張ってね~」と・・・。
私が台本書くのを知って「頼むかもしれないから」と何本か読んでくださった・・・。
実現はしなかったけれど・・・。
和枝さん・・・。
享年64歳。
私のように、ほんのすれ違っただけの人間でも「後輩を励ましてくれる人」
「演劇を愛する素敵な人」と思っているのだから、近くにいる人にとっては
如何ばかりの存在だったのだろうか・・・。
「いつかご一緒に何かできたら幸せなのに」と思っていた・・・。
面白がっていただけるものを・・・。
この次、柄本さんにお会いしても、
やっぱり無言で会釈になってしまうだろうな・・・
きっと言葉が見つからない・・・。
和枝さんのご冥福をお祈り申し上げます。
ありがとうございました。