2015年ってことは、ひとりコントの舞台を始めてから15年になる。
渋谷ジァンジァンがフィナーレしたのは2000年だから。
そのあと、女優の中村まり子さんの紹介で下北沢に拠点を移し現在に至る。
最初の頃の舞台は猛獣のようで、来てくださっているお客様を対戦相手の様に思って身構えていた。
終演後は立てなくて、楽屋で倒れこんでいたらスタッフさんが「人がいる!」と驚いていたこともあった。
アホウですな、アホウ。
マラソンでも上位の選手は、「自分の仕事をした」、というくらいの表情でゴールするけれど、下位になるほど「なにがあったのだ?」というくらいの苦しいそうな表情になる。
本番には弾んで思いがけなく良い舞台があったりするけれど、それは閉じていたところが開いたくらいで、元から無い力を出そうとすれば身体はダメージなのだ。
それが私の初期の舞台。
力量以上。
今、その頃からのお客様は皆無。
友人は別として。
その頃のお客様が今の私の舞台を観たらどう思うのだろうか・・・。
「年取ったな」とか「丸くなったな」とか「こじんまりしたな」とか思うのだろうか・・・。
ちょっと悔しい・・・。
あの頃は、翌日の事など考えていなかったからな・・・。
昼公演があれば夜公演の事は考えていなかった。
目の前の試合と対戦相手の事しか・・・。
まぁ、舞台は試合じゃないし、それじゃお客様も迷惑だけど・・・。
小倉さんと三宅さんのコントボクシングを観てきた。
「タイトルマッチ2」と打ってあったので「1」もあったのだろう。
そして、その「1」は好評だったのだろう。
去年の12月1日のアミューズ寄席の時に「台本を直すのが大変」とは聞いていたけれど、ほんとに大変そうだった。
まぁ、元の本を知らないので、ひねり過ぎたりしたのかもしれないけれど。
あんなに実力のある二人をもったいない。
三宅さんと小倉さんの二人を初めて見たのは、渋谷のジァンジァン。
「どつきヨットスクール」というお芝居のファーストシーン。
椅子に座って洗脳を受ける小倉さんと、立ってワヤワヤ責めている三宅さん。
面白かった~。
呆れるくらいギューギューの立ち見だったけど、文句言う人なんかいなかった・・・。
みんな、「人の頭と頭の隙間からでも見られれば」と思うような舞台だった。
ああいうの観たかったな・・・。
思い返すと、私の基準はジァンジァンだったのだな。
あそこで、世の中に出る勢いのある舞台や、テレビには出ないけど本物である人たちの舞台、ネームバリューは通用しない舞台を客席で見ていたから。
永さんの数々の企画ライブ、イッセーさん、マルセさん、美輪さん、東京乾電池、シネサーカス、10時劇場、
シェイクスピアシアター、シェイクスピアカンパニー。
かなうわけもないし、肩を並べる事も出来ない。
何時も遠くにある背中を追いかけている。
小倉さんや三宅さんにあの頃の二人を求めるのもどうかしてるのだろうな・・・。
30年前だからな・・・。
本多劇場の指定席。
良い環境で見ながら、ジァンジァンでのステージを思い出してしまっていたのだな。
こちらはほんとのボクシング。
応援している選手が勝ったのでめでたしめでたし。
アンダーの4回戦3っつもいい試合で、同伴の仲間たちも喜んでくれた。
やっぱり4回戦はいいな。
無我夢中。
こっちも血が騒ぐ。
メインになれば、集客やタイトルや自分のボクシングスタイルや、色々大変なのだな。
勝って当たり前で、大切なのは勝ち方なのだ。
気持ちがリンクするところ多々。
「守りに回った」といわれないように、挑戦者の気持ちになっていかなきゃな。
目標はかなわないジァンジァンの舞台たち。
財産なのだな。