やっと時間に余裕ができたので「日記を毎日描く」と思ったのだな。
毎日描くから日記なのだし。
し、しかし、家に居ること4日目。
ほとんど家事に費やしている。
特に食事。
おせちを作る時間がなかったので、
31日に食材を瀑買いし、オードブルのようなものをたくさん作ってお重に詰めて、
あとはメインのモノを作ってなんとか大晦日や元旦の賑やかな食卓に。
それでも、3度3度、温めたりするものがあって、
バタバタとお給仕しておった。
専業主婦を名乗る母には餅を焼くこととお茶やコーヒーを淹れること以外はさせなかった。
今日の午後、やっと落ち着いて1月の仕事の段取りや、ライブ鑑賞の日程などを決めようと思い、
自分でコーヒーを淹れて、ゆっくり考えようとしたら・・・。
瀬戸物のコーヒーメーカーの持つ所が壊れていた。
そのまま居間に行って母に「コレ何?」と聞いたら嫌そうな顔をして
「何かしら?」と頭のおかしな人間の返事。
すかさず「持つ所が壊れてるんだけど」と睨み付けると、
「随分前に壊れたのよ」と知らなかった私が悪かったのような発言。
私は年末数週間、東京に泊りがけで稽古をしたり、
家に居てもコーヒーを飲む余裕が無かったりだったので、
壊れていることに気が付かなかったのだ。
だからといって、壊した人が悪くなく、
壊れたのを知らなかった人が悪かったのような発言は心外もいいとこ。
私は躊躇なく「これ、私のなんだけど」と言い放ってにらみ続けた。
すると母は「誰のか分からなかったからね」とトンチキな発言。
「あやまって」「はいはい」「あやまって」「はいはい」
「はいはい、じゃなくてあやまって!」「はいはい」
ううう・・・。
不毛だ、不毛・・・。
不毛なのだ・・・。
この事件の少し前にも、お客様に頂いたお菓子をみんなで楽しもうとした時に、
母が淹れたお茶が苦くてひと悶着あったばかりだったのだ。
「苦いんだけど、お茶の葉、量ってる?」
「量ってるわよ」
「飲んでみてよ、苦いから」
「あらほんと、苦いわ。いやね~」
「いやなのはこっちよ」
「せっかく高いお茶なのに」
「高くても淹れ方が悪かったら不味いのよ」
「いやね~、高かったのに」
「どうして苦いのよ、お茶の葉量ってるんでしょ」
「今日は間違えたのよね」
う、受け答えになっていない。
私が腹立つのは失敗したことではなく、
受け答えの不確かさなのだ。
「あらごめんなさい」の一言で済むことなのに、
それを自分が悪くないかのような言い方が怒りの導線に火をつけまくりなのだ。
もう、外出しよう。
明日から外出。
一緒に居るから腹が立つのだ。
相手は変る気が全くないのだから、
それと争っても意味がない。
関わらないことが一番なのだ。
攻撃より防御。
防御より棄権。
くだらない争いは棄権する他ない。
明日までノンビリの予定だったけど、
もうノンビリおしまい。
今年も、沢山、外出して働くだす~~。