弾き語りをすると、疲れるようになった。
歌ってる最中に「消耗してる」と、実感する。
体力の衰えもあるかもしれないが・・・。
一人コントも、「疲れるコント」と「楽にできるコント」の二種類ある。
「騒いだり台詞の量が多い」というのが「疲れるコント」ではない。
「中身の消耗するもの」が「疲れるコント」なのだ。
淡々とした、無言の時間が多いコントほど、消耗が激しい。
台詞が多いものは、覚えるのは大変だが、台詞自体でリズムを取っているので、
おしゃべりしてるのとそれ程変わらない。
淡々としたもの程、中身を集中して、あげておかなければいけないので、
疲労倍増なのだ。
一人コントのライブの後、動けなくて楽屋の床に横になって、
しばらくじっとしてる事がある。
大体、一番最後に力を使う大きいネタをやるからなのだが・・・。
私は、勝った試合の後でも、リングで立ってられないボクサーなのだ。
一流のボクサーは、余力が残っている。
分かりきった実力で、相手を倒すからだ。
二流のボクサーは、自分の持っている実力以上の力を出して試合をする。
だから、ヘトヘトで立っていられないのだ。
私の弾き語りの「ストーカーと呼ばないで」は、淡々としながら、精神を消耗をさせる。
大騒ぎしている「酔っ払い女の歌」は、肉体を疲労させる。
このブログから生まれた「私のイロハ」と、「恋の血液占い」は、楽に歌える歌だ。
力を必要としないので、歌いながらも休む事ができる。
「歌もコントも同じなのだな」と、思う。
色んなことが肌で分かってきて面白い。
今日は、国立まで行って、弾き語ってくる。
明日は、800人の前で一人コント。
明後日は、クローズの会でどちらかをやることに。
この何日かは、舞台でベストを尽くすためだけに、逆算した生活にシフトしている。
それ以外のことは、必要ないことなのだ。
私は二流でも、立ってられない方のボクサーでいたいのだ。
息巻いて、色々書いたけど、本当は彼氏も欲しいのだ。
こんな時に、肩をもんでくれたり、部屋を片付けてくれたり、
雑用を引き受けてくれる彼氏が・・・。
ん?彼氏って、そういうためにいる訳ではないんだろうな・・・。
何の為に必要なんだろう?
もう、昔の事で、忘れてしまったのだ・・・・ははは・・・。
「前回、国立のライブハウスのオムソバは、うかつに頼んだら、3人前だったじょ~」
隣に座った男の人が、見かねて食べてくれたんだよね。
「その後、いい感じにお話していたのに、飛び入りでネタと歌やったら、
『最高~!もっとネタやって』って・・・見る目が違ってしまったじょ・・・」
う~ん、女としては、評価されにくいのぉ~!