『産みの苦しみ』って、出産もしてない私が、気軽に使っていいかどうかだが、
この20年くらい、『産みの苦しみは』キーキーと味わっている。
台本でも、歌でも、イラストでも、みんな、何にもないところから形を作るので、
その作業が『苦しみ』だったりする。
でも、『苦しい』も20年くらいやってると、『当たり前』になってくる。
「沢山子供を産んでる人もそうなのかな・・・」
見当がつかない・・・。
他の人に台本を書く時は、絵を浮かべてから、それをお話として文章にするので、
『絵→文章』の時が苦しい。
自分のコントの台本は、書いてるときは楽しい。笑いながら書いている。
ところが、この台本を立ちあげて、実際にやってく『本→演技』が苦しい作業になる。
自分自身しか使う素材がないので、『正しい選択肢が何か?』を迷うのが苦しい。
『正しい』は、自分が決める正しさだからだ。
イラストの時は、手先が不器用な私は下書きをしないので、失敗が重なると苦しい。
デッサンとか構成が出来る人は、ちゃんと下書きするのが当たり前だと思うが、
私のように何にも勉強しないで描いてる人は、発想とアイデアなので、集中力しかない。
歌は・・・歌は大変だ。
何が大変って・・・歌詞を書くときにメロディーがついているのだが、
ギターが出来ないので、コードが少なく、歌う時には違うメロディーになっているからだ。
メロディーが違えば、語感が違ってくるし、与える印象も効果も違ってくるので、やり直しになる。
昨夜、すんごい面白い歌を思いついた。
もう既に、私の頭の中では、この歌にメロディーもピアノの伴奏も間奏もついているのだ。
何故か、そんな事が起きたのに、私の数少ないコードのギターで弾けば、
また違う歌になってしまうだろう・・・。
つまり『脳の中→現実の世界』で、つまらないものになってしまうかもしれないのだ。
「今日は、まだ、ギターを触ってない・・・」
もう少し確立できるまで、脳の中で楽しんだ方がいいかもしれない。
産んでしまわないで、もう少しお腹の中に入れておきたい気持ちだ。
大した事ないのが出てくるより「この子は天才かもしれないわ!」って思っていたい親心・・・か?
それでも、ライブの日はキチンとやってくるので、どこかで出さなくてはいけない。
「現実は私に冷たいから嫌い」って、24の時に作ったコントの名台詞(?)の一つだ。
「まだ覚えてる」っていうか・・・変わってないんだと思う。
変わったとしたら、若い頃はそこでくじけたが、
今は、「苦しいのは当たり前」になってるので、諦めなくなったことだ。
「こうして、怖いものがドンドンなくなっていくんだろうなぁ・・・」
今日、『ジャージでお茶の水まで行く女』になるかもしれない・・・。
四谷までだったのに・・・。
追記:読み返してみたら、この文章では、今、A型と間違われるかもしれない・・・。
昨日も、知り合いが連れてきた初対面の人と、話し込んでいた時のこと。
30分位話した頃に、その男の人が、急に質問してきたのだ。
男「血液型は?」
私「B」
男「B?・・・絶対、B型以外だと思っていた・・・Bなの?」
私「Bよ、両親も弟もB。一家全員B。あなたは?」
男「オレは・・・オレは、典型的なAだよ・・・」
(典型的なAが、自分から血液型の話をフルものだろうか?)
私「Aなの・・・」
男「そうだよ・・・。でも、絶対Bって言われないでしょ」
私「友達には『典型的なB』っていわれるけど、社会ではそれは通用しないから・・・」
男「絶対、Aにしか見えなかった・・・」
私「だったら、社会人としては大成功ですね」
男「Aっぽくしてるってことなのかなぁ。絶対、B以外だと思ってた・・・」
(こだわるなぁ。納得できないらしい)
私「Aにシフトしてるのかもね。子供の頃からA型の男の人好きだし」
男「本当に、友達には『典型的なB』って言われるの?」
(まだ言ってる、自分の分析外だったからかな?)
私「ホントだよ」
男「Bなんだ、絶対・・・」
(絶対って良く使うなぁ。証券マンだから分析には自信があるんだろうな)
私「おばあちゃんがA型だからかもしれない。隔世遺伝かもね」
男「そうか、それなら分かるよ。じゃあ、BBじゃなくて、BOかもね」
(良かった。納得してくれたらしい)
私「きっとそうかもね」
男「そうか、BOか・・・」
私「・・・・」
このように、37歳、一児の父の証券マンに、A型に間違われてしまった。
でも、この人、大学の時の第二外国語の話のときに「僕達の頃は中国語がね」って、
先輩が後輩に話すようにな口調で話していたけど、私、7歳も年上なんですけど・・・。
分析するのが仕事らしいけど「大丈夫か?」と思った夜でした。
「ボタン雪の名残だじょ」
もっと積もると思ったのにね。
「すごい降り方で楽しかったじょ」
東京の人の発言ですね・・・。